今週は日曜日にある試験に向け、一週間の学びの期間でした。
久しぶりの一週間(月曜〜土曜)座学による研修は自分自身でも色々と考えさせられる有難い機会ともなりました。
そもそもの考えの始まりは先週末にバッカーズ寺子屋九州に通う息子の東京研修を終えてのお迎えに行った際に見た写真集の中にノーベル賞受賞者の言葉に刺激を受けていたことだと思います。
いくつか有りましたけど、心に刺さったのは、下記のようなものでした。
人間とは何か。私達が生きる真の意味は何だろうか(野依良治)
あなたの夢はなんですか? 夢に向かって頑張っていますか?(山中伸弥)
愛される知(益川敏英)
不思議に思う心を忘れていませんか?(梶田隆章)
科学でどうしてもわからないことって、なんだろう?(小柴昌俊)
あなたが本当にやりたいことはなんですか?(赤崎勇)
大変大切な根源的問いであると思います。
今回受講しました理系学者やエンジニアによる講義はとても分かり易く興味深いものでした。
大学生時代に残っている学びは恥ずかしながら少ないですけど、印象に残っているものに『理系を突き詰めるので有れば、古典を理解することがとても大切だ』と言う言葉が有ります。
誰が言ったのかも覚えていませんけど、卒業話前に講師に言われた物でした。
今年はアスペン研究所に参加させてもらう機会もあり、古典に学ぶを実践してきました。
今回の理系学習と重ねますと『そもそも論』への問いがとても大切なのではないかと思うに至りました。
どうしても理系的なテクニックを覚えますと全てがロジカルで計画通りに行く喜びに浸かってしまう傾向があ出てきます。
そもそも技術を磨く目的は根源的には人としての営みをより充実したものにしたい、他の人に役に立てる人間になりたいと言うような想いから始まらなければいけないのに、技術の向上と言う手段が目的と入れ代わり、俗に言う暴走に至るケースが多いように歴史から学べます。
経営工学も同様でロジックは大切ですけど、そこには社会のためと言う大前提が無ければならないのについつい自社の事を中心に考えてしまう機会が増えてしまうようにも感じます。
よく、師匠に言われた『人間は感情の動物だから』と言われたことを思いだします。
娘の教科書には感情の反対語は理性とありました。
論理だけでは決して解決できない部分を先人からの知恵の結晶でもある科学を使って解決しようとしていると言う大切なことを改めて気付かせて貰える機会となりました。
何より今この瞬間を大切にしていかなければ、自分が本当に望む人生は歩めないと改めて感じ入りました。
先人に与えられたこの恵まれた環境をより良いものにして、次世代人数伝え継げますよう自分自身も楽しんで尽力してまいります。
エネルギー問題等で未来からの前借りにならないよう人間学と科学の両方を学び習い続ける所存です。
いつの時代も適切な仲間がいなければ自分自身が簡単に根無草になることを自覚していますので、大切な仲間とは末永くつるめますよう自己変革と成長を継続します。