【追悼】中村哲氏

今週の悲報はとても残念で悔しいものでした。

中村哲さんの講演を何度か拝聴しておりまして、質問もさせて頂いた事が有りました。
メディアにて特集等も組まれていますので、実行された素晴らしい活動はこれから多くの方の目に触れられる事と存じます。
ノーベル平和賞の候補者でもあったのは当然の事と思う位に誰にも真似できないとても素晴らしい生き様であったと思います。
蝶々好きがこうじてアフガニスタンに入ったものの縁を感じでそのまま残られ、ハンセン病から始まり、医療だけではなく、社会の安定につながる活動へと変化されて行きました。
医療活動から治安の為などの観点も含め、水道事業のような体を成し始めた際には多くの方から帰国を勧められた事と推察します。
それでもその土地に残り、井戸の次には用水路まで構築されました。
井戸や用水路の為には日本の多くの方の知恵や知識なども活用されていたようですが、それらを理解して実行出来るのは中村哲氏の情熱とクレバーさによるものであっただろうと思います。

『その状況でアフガニスタンに残る理由は何ですか?』が最も多い質問であったのかもしれません。
『逃げ足が遅くて』と返して、会場でいつも笑いを誘っていらっしゃいましたが、私の前では一度『本日はリーダーの方々がご参加との事なので、言わせて頂きます。』との前置きの後、『目の前で困っている方が居て、自分には解決策が見えてあるならば、そこから居なくなるのは逃げるだけであって、リーダーたるものそんな事ではダメでしょう。』と言う主旨の回答がありました。

中村哲氏の口調は終始穏やかで語気を荒めるのは聞いた事がありません。上記のエピソードもの淡々とした物言いの中でお話しされていました。
また、憲法9条の所謂議論においては、戦争被害を理解していない戯言のように捉えているかの回答も印象的でした。
最近は用水路の影響で富が増してきた結果、残念ながら貧しい時には無かった掠奪が増えており、治安の悪化を嘆かれる発言もあったと聞き及びました。

私自身に出来ることは限られて居ますけど、祖母からも良く教えられた『義を見てせざるは勇なきなり』を実践された中村哲氏の生き様に習い困ってる方を少しでも支えられる人間を引続き目指したいと思います。
『自己の最善を他者に尽くす』は容易ではないからこそ気づいた人間の使命として進むべき道であると確信しております。

中村哲氏は福岡にお戻りになられる事と存じます。
長きに亘り本当にお疲れ様でした。また、ありがとうございました。