子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

今週も大いに学ぶ機会を得ました。

大切なのは学ぶだけではなく、「学びときに之を習う」がセットになっているのが良いのだと思います。
習うの語源は『羽』と『白』から出来ていて、雛鳥が親鳥から飛ぶ事を教わった後は命がけで練習することからこの字になったと教わりました。

現在の実行策で命が取られることはほとんどないでしょう。
つまりは学んだら挑戦することがとても大切なんだと感じています。
この点は大いにご意見が分かれるところかも知れません。
それでも人生において成功を収めたと言われる方は挑戦無しには語れません。
挑戦の反対は失敗では有りません。
失敗をそのままにしないことが人生の成否を分かるようにも感じます。
『愚者は経験から学ぶ』とは言いますもののやはり経験から学ぶことはとても多いと思います。
それは習うを実践した結果だからではないでしょうか。

習うは初めてのことが多いのです。
最初から上手くいくことなどありません。
それは挑戦していない証左とも言えます。

私は今、大きな変革を組織にもたらせようと考えています。
そのために最も肝要なことは私自身が最も変わるということだと確信しています。

この1、2年でも『変わった』と言われる機会も増えましたけれども、私のイメージではもっともっと大きく変わっていきます。
今週の月曜に受けたセミナーでも大いに学びました。
この話はまた改めてしたいと考えていますけど、アダムグラントが推奨している話を実践されているインドの実業家実践家による講演でした。
その話の中に『人間は環境の影響を多分に受けている。だからこそ自らで環境を変える努力が必要である。付き合う人間をどのようにするか選ばなければいけないし、付き合いたい人から選ばれる努力も必要だ。』との言葉も有りました。
人生は有限です。
時間は誰にも平等に与えられています。
一朝一夕で成せることは大したものでは有りません。
自分の時間を活用し、能力を磨き上げる努力をすることで環境は自らの意思で大きく変えることが出来ます。
環境は長時間をかけて自らが作り出した物でしかありません。

朋が遠方より来る前に自らで動ける自分でありたいと思います。(もちろん朋からも声をかけられたいとも思っています)
世の中の人が私を知らないことは当然で有り、平穏な生活を送るにはその方が良いことばかりです。
何事をも成しえていない私が知られることはないでしょうし、成したとしても目立たずひっそりと謙虚に生活して行くのが、私にとっても幸せです。

為すべき事を為し続けて、いつの日か何らか成したいと願うばかりです。