人生を変えるのは他の方の何気ない一言であったりするのかもしれません。
発した人間にとっては記憶に残らないようなものでも、受け取った本人にとっては大きなインパクトを与えている場合があります。
私自身も何度もいろんな方に刺激を受けていますけれども、狙って発言したものでは無いものが多いように思います。
私を慮っての発言でなくともとても心に残ることもあります。
逆に私が覚えていない発言を大切にしてくれた方もいらっしゃいます。
この人生に影響を与える誰かの発言はなんであるのかについて考えました。
何故かと言いますと先日参加した講義においても人生に大きな影響を与えたお話を聞いた際に感じたことがあるからです。
それは、人生が変わるような発言は自分自身にその準備が整っていたと言う事なのではないかと言うことです。
『人生は思ったときに変えられる』物だと思っています。
勿論、第三者からの評価はそんな簡単ではありませんけれども、新たな道を歩む覚悟ができた時点で多くのことは備わっています。
ホモサピエンスと言う動物的視点からすれば、安定こそが最大の希望であって、変化を好むものではないようにも思います。
それでも現実には環境は変わり続けています。
ダーヴィンの言葉の通り、強いもの賢いものよりも変化し続けられるものこそが生き残れるのでしょう。
この変化を恐ろしがるのも我々のDNAに刻まれているのかもしれません。
それでも常に自分自身を変化させる意識とその挑戦を継続させなければ、それは停滞ではなく衰退でしかありません。
日々、目にしたり耳にするものから如何に刺激を頂戴しようとしているかがとても大切だと感じます。
私は大きな変化を通じて社会に貢献してまいりたいと考えています。
おぼろげながら次の自分の課題を感じ始めました。
この壁を越えることができたときには、更なる挑戦に向かいたいとも願います。
多くの方の何気ない一言にどこまで感応できるのか、そしてその瞬間には感謝をして次の段階へ向かってまいる所存です。
今週は改めて貞観政要の六正六邪を学んで来ました。
これからの将来においても自分自身がどのように有りたいのかを考え続けまして、実践してまいります。
古典に如何に学ぶかは、私にとってより良い人生に不可欠なのだとも感じている次第です。