平成最後の年末

最近、色んな所で『平成最後』と言う枕詞を良く耳にします。
年末でもあるので、今年を振り返るのは大切とも思いますけど、平成と言う三十年史を振り返るのも有意義なの事であろうとも感じます。
ただ、一般的にテレビで語られるのはステレオタイプで浅薄な議論が多いようにも感じ、既に辟易とする感じがします。
これからもますますテレビ離れは進んでいくのも致し方無いように思います。
増え続ける人口の前ではある程度メディアによるコントロールも価値があったのかも知れませんけど、これからはやはり自分の頭で考え思考を深めることが出来なければならない人財を増やす必要がある中では、有効性が低くなることと推察しています。
以前に読んだ本で『テレビは映画を家庭で楽しめるようにしたものであり、毎日映画を何時間も観るのは映画監督や俳優にならない限り、ただただ娯楽を楽しむだけの堕落した生活にしかならない』と言うような内容があり、いつもその言葉が頭から離れません。
勿論、テレビがエンターテイメントとしてとても優秀である事は認めるどころか、感謝もするほど楽しませて頂く時も有りますので、価値はあると確信しています。
ただし、やはり有限な人生の中では依存されるべきものでも無いと感じます。

平成の年号が変わると言うことには、今上陛下として並々ならぬお考えがあったことと存じます。
最近の良く語られる歴史観は明治以降のものが大変多くなっているように感じますけれども、宮様方におかれましては、皇紀2678年の歴史を前提に判断されておられます。
125代と言う、一般的には理解することが難しい、永く紡がられている系統の中で考えられている判断は現代の価値観だけでは推し量れないことが多いことと存じます。

平成を振り返る時には折角の機会ですので、2678年の歴史にも目を向けてみたいと思います。
世界の中で経済的に平成を振り返りますと、経済大国としての停滞感は否めませんけど、激動かと言われれば結果としてこれだけの平和を享受出来た期間は恵まれていることと確信しています。
ただし、次世代にはいつものように課題を積んでおりますので、現役である限り目の前の課題から逃げずにまた中長期的な課題へ少しでもリーチしていくことを意識し続けたいと思います。