「今年で最後のラーニングフォーラム」と昨年から言われていたラーニングシステムズ主催のランニングフォーラムに参加してきました。
事業を立ち上げた十年前は講演会やフォーラムなどが苦手で「参加している時間があるなら、自分の仕事を進める」もしくは「著書を読む」と参加していませんでした。
初めて参加させていただいたフォーラムが本フォーラムで2011年から毎年楽しみにするようになりました。
主催者である高原氏には公私共にお世話になっている事もありますけれども、素晴らしい講演の後にいつもプロによる生演奏を聴けることも魅力でした。
音楽の生演奏は学生のときに好みのバンドのコンサートに行った以来で、あまり聞く機会のないような音楽に触れるそれも生で体感できることの価値を大いに感じておりました。
ラストフォーラムでは敬愛する田口佳史氏が登壇されまして、いつもながらの凛とした佇まいから発せられる言葉に刺激を頂戴しました。
実践しているものだけが醸し出せる匂いのようなものを体感できることは有難い限りでした。
最期について考えるのは色んな場面であると思います。
昨年にラストフォーラムと宣言されてからどのようなフォーラムにされるのか大変興味深く過ごしておりました。
今年で20年を迎えるラーニングフォーラムには、色んな歴史が詰まっていたことと存じます。
20年を重ねる間に様々なことがあったことは間違い有りません。
始まったときにはあまり意識をしないであろう終わりについていつ頃から意識をしてどのような形で迎えるのか、そもそも最期を自分の意思でコントロールできるのかも含め考えさせられる一年でした。
私個人としても昨年の相馬野馬追における総大将は最期になるものと覚悟して臨んでおりました。
何事にも引き際はあります。
形を変えずに永続できるものなどはなく、常に変化が付きまといます。
自分で引くことを決めれることは贅沢かもしれませんけど、決して容易なものでもありません。
プロスポーツの世界などでも引退を自らで決めることは悩ましくも羨ましがられることかもしれません。
学生スポーツや定年のようにルールとして受け入れることを前提に進めてきたものであれば、ある程度心の準備は出来ることでしょう。
自らで決断が必要な引き際においては、個人の美学含め様々あると思います。
個人的にも存じ上げている高原氏の一つの覚悟を感じると共に自分自身を振返る時間を頂戴しました。
高原氏がラーニングフォーラムを始められたのは40代半ばでした。
今の私とほとんど変わらない年齢です。
個人の生活や会社のことだけでなくいつも地域や国家、ブラジルとの関係のことを考えられている高原氏が、フォーラムを創められた想いは何であったのか?
私自身が何も事を起こしていない今をどう受け止めるのか?
やはり自らの思いは形にしなければ伝わらないことが沢山あるだろうと考えます。
行動を起こしても正しく伝わるかは、また別の話です。
それならば今ここで何かを始めるべきだと感じた瞬間でもありました。
田口氏の講演の中にもありました「今日から始めれば、一日早く立派な人間になれる」が心に染み渡る夜でした。
我が家では「明日やろうは馬鹿野郎」です。
一度限りの与えられた人生をこの瞬間からも正しく歩めるよう精進してまいる所存です。