苦労した人が報われる

最近、表題の件で色んな意見を拝読する機会がありましたので、改めて自分の頭を整理しておこうと思います。

私は、表題の件に諸手を挙げて賛同します。
そもそも、苦労も感じないで達成できることに、どの程度喜びを感じられるのでしょうか?
脳が快感を感じるのは、努力を経て達したことに対してであること分泌物があることは理解されてきています。
(性質が悪いのは、ギャンブルや麻薬の類はこの脳が出す快感と同じような物を感じさせてしまうことです。この話は今回の主旨とはずれますので、別の機会にします。ただ、ギャンブル依存症と麻薬中毒は共通項があり、大変危険なことも理屈が通っていることだけでも記憶に留めておければと思います。)

努力しても無駄、苦労に意味が無いと言う方もいらっしゃいます。
その手のことを言う方は、言葉の定義のズレもあるように感じます。
簡単に手に入る物に感動も何も生まれません。
自分自身が努力した分に比例して喜びが生まれているのではないでしょうか?
悔しいと言う思いも表裏一体であり、人生で全く悔しいと思わないのは、努力をしていない証左でしか無いように思います。
「成功するまで続けて成功」と言う言葉が示すとおり、負けや失敗を認めるのは常に自分自身です。
瞬間的な成果や結果には当然に差がつきますが、人生は続いていきますので、「めでたしめでたし」は本やドラマの中だけの話であるのと同様に、戦う意思がある以上、負けが確定することも有りません。
自分があきらめたら、それで全てが終わってしまうのです。

なので、今悔しい思いをお持ちの方はそれを大切にして、決して諦めずにご自身の道を極めてもらいたいと思います。
私自身も達成できていないことは沢山ありますけど、決して諦めたりはしません。
常にどんな状況であっても継続して、いつの日にか理想を夢見ています。

以前に先輩に言われたことがあります。
「義憤に駆られて行動していても報われることが少ないようにも思う。でも諦めたら一番損をするのは他の誰でもなく自分である。達せられたときの喜びは何にも勝る。日々色んなことがあるだろうが、何事も決して諦めてはいけない。」
色んなことを諦めたときに後悔するのは自分しかいません。
他の誰も気にも留めないことばかりになってしまいます。

他の人には見えない世界が見えてしまった人は、苦労が絶えませんが、世界を変えていくのは常にたった一人の行動であり、行動を起こし継続する源泉になるのは信念・志に尽きます。

あくまでも正しいと言う前提は付きますものの「(正しい)苦労した人が(絶対に)報われる」と言うことは間違いないと確信しております。

正しいかどうかの例え話でよく師匠に言われていたのは「サッカーで勝つために練習しているのに、野球のバットを振っているヤツが多い。しかも当の本人はバットを振っていることで努力した気になっている。指摘しなければ、皆が不幸だ。」でした。
この例え話は分かりやすいので、そんなことは無いと思うかも知れませんが、結構お見受けする状態です。
バットを振っていると汗をかくので、誤解もしやすいのかも知れませんが、周囲には迷惑です。
イシュードリブンで、相手が求めている真意を正しく掴むことがまずは大切ですね。