残る物と遺したい物

昨今では情報量が膨大でいろんな所で氾濫気味であるようにも感じますけれども、果たして10年後に残っているものはどんな物なのでしょうか?
本にしても映像にしても遺しておきたいと思うものはどのようなものでしょうか?
私どもの会社は11年目を迎えようとしています。
グループとしては150年目をそろそろ迎える段階となっております。

会社の存続率は、5年で14.8%、10年で6.3%、20年で0.4%、30年で0.021%とするものや、
5年で82%、10年で70%、20年で52%、30年で45%とするなど諸説あるようですけれども、
どんな事由であれ、退場を余儀なくされている企業は常に存在しています。
こちらはあくまでも統計上でのデータですけれども、創業の精神をどこまで継いでいるかは全くの別問題だと思っています。
社名は残っても文化が異なる形で遺る事も多分に有ると思います。
何を遺すのかと言うのは経営者にとってはとても重要であると思います。
名称なのか?文化なのか?も異なるのに加え、創業経営者と継いだ経営者でも少しずつ意識も変化があって当然といえます。
当然ですけれども、遺すツールも異なります。
既にフロッピーディスクやマイクロフィルムで残したような物は、現時点で再生も容易とは言えません。
SNSの記事などは果たして何年閲覧が可能になるのでしょうか?

以前、お伺いした話では最も永く遺る物は石に刻んだものであると聞き及んだことがあります。
確かに遺跡等での文字においては石に刻まれたものが結果として残っているように感じます。
その場合は、文化が途切れて空白期間が生まれたとしても遺せるメリットがあるものの、紙等に比べ圧倒的に文字数が少なくなります。
石に刻まなくとも永く遺っているものの代表といえば宗教的な教えでしょうか。
口伝含め文化として伝えられ続けられれば、ある程度の形式を変えたとしても途切れることなく現代まで生き続けます。
残る物、遺したい物を考えながらも、自然の循環からすれば自らが朽ちた後は肥やしとなり、次世代に消化されることこそがあるべき姿であるのではとも考えます。
その肥やしこそが志・信念・価値観なのかもしれないとも思いつつ、自らに遺る価値が有るのか問い続け、有限である生を大切に今を生きていこうと思います。