仮説の重要性

知的好奇心が弱い方にどのようにすれば成長を促せるのかがわからないという悩みを抱えつつ、そのような方は仮説設定が甘いことが多いようにも思います。
この仮説の設定は、成長過程においてとても重要だと感じています。

人間は日々色んな意思決定をして過ごしています。
その日に着る洋服、食事など個人的なことから、属する組織においても業務の順番付けなど意識の有無は別にして何らかの意思決定の結果、行動が伴っています。
その際に「何故」そのような行為をしているのかについて考えているかいないかで、長年の間に大きな差が生まれてしまいます。
碁や将棋で言うところの何手先まで読めているのか?は得られる成果にも当然影響を与えます。
仮説を立てたとしても実際の相手の行動は異なる場合も当然ありますけれども、それを理由に思考を止めるというのは全く仮設設定の主旨を理解されていないとしか思えません。
いろんな場面で「出たとこ勝負」と言うこともありますが、これは複数の対応パターンを持っている人間でなければ適切な対応は出来ないでしょう。
社内において各種意思決定をした場合の、思考プロセスを確認する事があります。
その際に、どの程度の仮説思考を持っているのかが将来的な成果に大きな影響を与えると思い、いつも気にしています。
その理由が、「前回もそうだったから」「前任者同様」というような回答だと末恐ろしく感じます。
常に環境は変わり続けていますので、私の発想も結論も少し前とは真逆になることも当然あります。
それを持って、「言うことが変わる」と捉えられると、思考回路が異なっている事の証左ともいえます。
朝令暮改のように常に変革をし続ける環境は自らの成長にとって大きな価値があります。

仮説設定の際に自分自身の勝手な前提を疑うこともとても重要だと思っています。
常にビジネスモデルは変化をし続けています。
成功モデルは一夜にして競合が現れ、進化を求められ続けていきます。
過去の延長に未来があるものばかりではなく、如何に未来を想定してそこに導いていくのかを考えるには前提条件の排除は欠かせません。
一番のネックになっている問題は、一番のレバーポイントとも言えます。
その先の未来が個人にとっての幸福ではなく、社会にとっての大いなる財産と成ることを秘めているのであれば、挑戦する価値はあるでしょう。
色んな仮説を立てることは脳への刺激と成り、シナプスの結合に繋がります。
ただ、仮説はとても重要ですけれどもその実践と検証はもっと重要です。
仮説過大になりすぎますと、その方は単なる評論家かも知れません。
仮説を立てることは絶対必要ですけれども、仮設にとらわれすぎて行動しないのでは、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」かも知れません。
まずは、仮説を立てたらワクワクして直ぐに実践できるような仮説を立てることが良いのかもしれません。