雪景色とトヨトミの野望

現在、飯塚地区には私が20年ほど前に来福以来一番の雪を体感しています。
大雪警報等は出ておりますものの、北海道や東北を経験しているものからしますと、そこまで特別なものには感じません。
ただし、インフラが整っておらずまた普段の生活に雪の経験が無い方々からしますと大変な大雪で生活の大混乱が各地で起きていることが推察されます。
子どもたちは多いに喜んでいますが、車道での遊びが多く如何に雪道における車が危険であるかを理解していないようですし、建物の出入りの際も靴や衣服に着いた雪を落とすことなく入っていくので、建物内も濡れて滑りやすくさせてしまっていたりもします。
昨日は大学から雪に関係なく期日だからと言う理由でどうしても期日変更不可との事なので、願書を届けに向かっておりましたが、その間でも異様な光景を様々拝見しました。
チェーンを付けてアスファルトむき出しの道路を高速で移動する車や後続車お構いなしで滑る環境でもないのにただただクリープ現象だけで移動する車など、改めて雪道は九州の道を走るべきでないと思い知らされました。
公共交通機関はある程度動いていましたので、どうしても移動が必要な場合はそちらを利用することが良いのだろうと思いました。
公共交通機関がある程度密になったとしてもマスクをして話す事が無ければ、COVID-19の感染が避けられることは既に証明されていますので、やはり移動だけの感染リスクは少ないように理解しています。
それよりも自家用車で立ち往生する事やぶつけられることによる被害の可能性が高いので、九州の雪日においてはそちらを避けておくべきでしょう。

年末に紹介されて読んだ『トヨトミの野望』を大変興味深く読了しました。
現在は、続編である『トヨトミの逆襲』に入っています。
あくまでもフィクションと言う設定ではある物の想像力を掻き立てられる内容でした。
筆者からしますとオーナー家への偏見も強い物があるとは感じながら、最前線で頑張っているスタッフにも目を向けて貰いたいという想いや、グローバル社会ではオーナーシップだけでは限界があるのではと言う筆者独自の根源的疑問があることを感じました。
あくまでも経営は結果を受け入れる必要があるだけではなく後継者選びも重要な仕事ですので、現役を継続されている時点での評価を正しくすることは誰にもできません。
後継者を優秀でないものにする多くの理由は、自分の存在価値を高めたいという理屈が多いように感じています。
いづれにせよ死後評価が180度変わる方も決して少なくは有りませんので、歴史の検証を待つしかないのです。
そのような意味では、オーナー家の方が長い歴史の検証に耐えられる行動が求められていることを理解している可能性は高いと感じています。
石田三成のように江戸時代に悪の象徴として存在した方の正しい評価は昭和になるまであまり変化が無かったと思いますし、歴史は勝者が書き記しますので、反対勢力が評価を覆すには薩長のように関ヶ原の屈辱を経て江戸を静かに過ごし明治になって歴史を書き換え直すなど多くの時間を必要とする場合もあるのです。

東洋思想を教わることになってから、長期的根源的に目を向けると共に以下に多様性に富んだ考え方を持てるかがとても大切だと理解してまいりました。
雪によって全ての景色は一面白原と変わるもののこれは一時期的な物であり、春になれば全てが洗わんなります。
同様に枝葉末節に捉われず歴史の検証に耐えられる人生を送って行こうと考える次第です。
雪の日も読書に向いている日であると改めて感じ入り、多くの本を楽しみます。
とは言え、明日は数年ぶりのTOEICなので、半年程度の毎朝の英会話に価値が有ったのか確認してまいります。