日本のGDPに適正値はあるのか?

何かを語るときに数字の裏付けがあることはとても重要で、定量的な評価が出来ないものを感情で語り始めると議論が成立しないのはロジカルシンキングを求められるビジネスシーンでは当然です。
数字は結果として第三者の目にも明らかなので、理解を得るには最適なツールとも言えるでしょう。
ただし、過去からの数字の変遷がそのままスライドすると考えるのは程度の低いエコノミスト同様で、イノベーションや社会変革が起これば数値は大きく変化も遂げていきます。
要するに数字は結果であって、実行のプロセスではありません。
数字のために動くのは目的と手段が混同される傾向に行き着いてしまう可能性があります。
私が決算書の数字などを教わったときに心に残っているのは、『決算書に出ている数字は飛行機の操縦席にある各種計器類と同じでどのような操縦桿等の操作をしたかと外的環境の結果であって、計器類を見ながら次の操舵を考え続けることが大切である。計器をまともな数字に収め続けることは目的ではなく、飛行機を当初の目的地に着陸させることが目的であるので、計器類はその指標に過ぎない。』と言うものです。

最近、60代以上の方のお話で『バブルの頃は日本のGDPは世界の16%を占めていたのにのにいまや6% になっている。このままだと沈みかねない。』と言う論調を良く耳にします。
これは『デフレの正体』でも記載されている通り、労働生産人口が横ばいになっていることで説明が出来るように思います。
また、バブル以前は江戸時代から明治まで長らく世界の3%であったことも認識されておく必要があるように思います。
世界が農業社会から工業社会へ変化を遂げていく中で、日本は江戸時代からの識字率の高さと強い封権社会の名残も有り、キャッチアップどころか世界のトップに躍り出るまでに至りました。
また、その後大きな大戦を経て、日本の景気の追い風になったのは東西冷戦であったでしょう。
共産圏と自由主義との最前線で不沈空母のように存在していた日本は自由主義にとっての東の壁として存在しましたので、キューバ危機を経験したような米国からすれば大切に取り扱わざるを得ないのが実情でしょう。
西側の壁は文字通りベルリンを有する西独であり、工業化社会においては敗戦国であったにもかかわらず双方大きな成長を遂げることが出来ました。
冷戦が終結した時点で、世界のパワーゲームは大きく変わってきているのにその事情をイマイチ掴みきれていないのが平成と言う時代であったのかもしれません。

世は既にGAFAを代表とする情報社会になっています。
『成功はゴミ箱に捨て去れ』と言う名言もある中、未だに日本は工業社会の象徴とも言える製造業に依存する形を取り続けています。
世界は情報社会に成っていると言う事実に目を背けているようにも見受けられます。

私が幼い頃は世界の人口は60億に到達するか?と言われていました。
当時の日本の人口は1億2千万程度ですから、人口比で2%です。
そのような国家がGDPで16%を占めていたのだから先人の努力以上に何かあると考えるのが当然でしょう。
現在は、世界人口70億に向けて進み、伸び行くアフリカを見ているとまだまだ世界人口は増える傾向にあります。
翻って日本は人口減少の局面に入っており、数十年で明治を迎えたときと同様8千万程度になることが見込まれます。
どこかで少子化対策が利いたとして1億に留められるかもしれませんけど、人口比は1.1~1.4%です。
しかも生産年齢人口は減り続け、高齢化率を高め続けていきます。
この人数でGDP16%を目指すことが果たして国民にとっても健全なのでしょうか?
GDPを猛然と追い続けた結果として、国民の幸福度・生活満足度は連動していないことが調査の結果に出ています。

私はいつの世もリーダーの教育がとても大切だと考えています。
エリート思想と誤解されることを恐れず、素養がある人間は若くして多くの経験を積ませることが大切です。
人間は実際に取った行動によってその後の人生に大きく影響されます。
同じレベルの視点にいる限り気付きは少ないのです。
人・本・酒・旅・星によって、得られる立場が変わればますます大きな変貌を遂げることも可能です。
もちろん、全員が高い志を持つわけではないでしょうし、楽な道とは決して言えません。
リーダーになれば、孤独を強く感じる機会が増えることも間違いありません。
それでも、一歩踏み出すのは、志であり、信念であり、principleが必要になってくるのでしょう。
これらを学べる機会を大いに支援していこうと思う次第です。

団塊の世代が猛然と追い続けた果てに我々が大きな恩恵を受けているのは間違いない事実であり、感謝しかありません。
ただし、これからの未来を築いていくのは、成功体験に酔いしれる世代ではなく、世界が如何に容易ではなく残酷な局面があることも理解している人間達であるべきでしょう。

しっかりとした洞察力を身につけるためにも低学歴である日本国民はもっともっと勉強する必要があるのだろうと痛感しています。
私自身も資格取得などを通じても工学的な勉強は積んでまいる所存です。