表題は『大学』にある一文です。
最近、自組織を振り返るにあたり大いに考えさせられています。
結論としては当然に組織の長である私に全ての責任がありますけど、私自身が人間を理解出来ていないことが多分にあるのだろうと考えるに至りました。
私自身は管理されるのがあまり得意ではありません。
任されて自分一人で突っ走るのが性に合っているように感じています。
もちろん、任された以上、当然に全ての責任は私に帰結しますし、成果達成のための口出しはウェルカムです。
自分自身の思考を止められる事が嫌なのであって、アドバイスなどは有難い限りです。
ただ、人は私では無いと言う本当に当たり前の事が未だに理解出来ていないのだろうと感じるのです。
それはやはり私自身が傲慢であることの証左とも言えるのでしょう。
私は私がされて嫌な事はしませんけど、私にとって良い事が他の方にとって良い事かどうかは分からないと言う判断が弱いのだと自分を理解してきました。
組織の長たるものは、組織の適切な運用こそが任務なので、所属している人間一人一人に寄り添った指導が必要なのだと改めて感じ入っています。
つまりは管理されてる事を好むのがある一定以上の数でいらっしゃってそれが多数派なのだと言う理解が弱かったと思うに至りました。
組織全ての人が思考を止めるのはよろしく無いですけど、思考を止めている方には止めている方へ向けた指導が必要となるのでしょう。
いつかどこかで気付いてくれるは誤ちであると心に刻めました。
PDCAからPDSAへと言う言葉もありますけど、OODAと言うのもあります。
リーダーは色々と勉強・理解が必要でしょうけど、現場にはやはりPDCAが重要であって結果的には定着するように思います。
組織が十年を超えるとある程度行き足がつき惰性で物事が動く部分も多分にある事でしょう。
それはそれで人間の性でもあるでしょうし、それで進める内は幸せでもあると思いますけど、世の中そんな風には出来ていません。
いつの世も努力した者だけが到達出来る世界があるわけです。
努力したからと言って誰でも報われると言うほどお花畑を生きている訳ではありませんけど、努力は必須事項であることも確信しています。
これからはより高いステージでの思考が求められている事を改めて理解してまいりました。
『チーズはどこへ消えた』になる前にコンフォートゾーンからの脱出をします。
全ては自分の想いから始まり、挑戦を通じて見える世界にまた一歩踏み出して参ります。
私の今の仮説がそのまま上手くいくとは思っておりませんけど、経験から生まれた仮説がどこまで通用して、どの程度の修正を必要とするのか、楽しみながら人生を歩みます。
一度だけの限られた時間の人生を大切にします。