『転ばぬ先の杖』の悩ましさ

経験しているからこそ見えてきた世界が有ります。
そのような体験からついついアドバイスと称して『転ばぬ先の杖』を色んなところで発言してしまいますが、これによって思考の機会を奪っているようにも感じることが増えました。
分かり易い例では子供への色んなアドバイスなのですが、いつも言い続けますと、『言われなければしない』または『何かあれば言ってくれるから』と自分で考えることを放棄してしまうように感じるのです。
しかもこれは自らの意思であえて放棄するのではなく、自然とその状況が当たり前であって、そもそも思考を深めないと言う、自分ごとですらなくなってしまうのです。

勿論、普段自分の生活にあまり関係のない分野においては良いとは思うものの、自分たちの本業や人生を形成する事項については常に自らで経験を積む事こそが重要であるように考えます。
失敗の重要性を考える機会が増えてきました。
私自身が今までに沢山の失敗をしてきた経験から、やはり経験に勝る知恵は無いように思います。
理想はとしては、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』なのだろうとは思いつつも私の能力からしますと経験に一番学びを感じます。

大切なのは戻ってこれる(または生き残れる)失敗であるかどうかなのだろうと考えます。
取り返しのつかない失敗は、やはりするべきではないと考えます。
どの程度の失敗であれば、次の成長・成功につながるのかが大切なのではないでしょうか。
事業責任者会議においてこの10年を振り返る機会を頂きましたので、考えて見ますと随分と遠回りをしているように感じつつも私にとってはこれが最短の道のであったのであろうとも感じます。
これだけの失敗を見守っていただいたことにも感謝ですし、私自身が次なる機会を次世代に渡すことも大切だと感じます。
失敗は挑戦の表れでもあるので、ある意味では誇らしくあっても良いのだろうと思います。
正しい失敗と言う表現が有るのか分かりませんが、これからは転ばぬ先の杖が見えたとしても社員や子供にはあえて言わないことも必要だと考えています。
バッカーズ寺子屋でも「失敗の仕方を学ぶ」と言う表現がありました。
組織を持続可能たら占めるのは、継続して社員が学び成長を続けるからであり、その為の一番の教訓は自信を失わない失敗なのではないかと考えつつあります。