変化の予兆

世は無常で絶えず変化をしていますけれども、どの程度の方が未来を見越せているものなのでしょうか?
そもそも未来を見用途する方も少ないのかもしれません。
更に少数なのは、自らが求める未来を創り上げようと真剣に生きている方々でしょう。

コンピュータが世に出て百年足らずで人類に与えた影響はとても大きいですが、それ以上にインターネットと言うものの存在は大きくインパクトを与え続けているように思います。
これらの集合体が見せる未来を果たして何人が予測できているのでしょう。
私自身がイメージしていたネット社会とは進化の度合いに大きな差が有ります。
20年前には全くもって読めていなかった未来が沢山散見されます。
更に進化を続けているネット環境が人類の生活をどこまで変えていくのでしょうか?
先日読んだ本では、「資本主義体制が変わる」と言及されていました。
今の私には想像も難しい社会ですが、封建的社会や君主制の時代に生きていた方々も資本主義を目指していたわけではなく、あるがままの現状を受け入れていらっしゃったのだろうと思います。
私には資本主義の次の社会は見えませんけれども、もしも有るのであれば是非見たいとも思います。
資本主義も民主主義も全てにおいて完璧なものとは思えません。
どんな社会にも課題はあり続けるのが人間社会でしょう。
人間が共同生活をする上では、変わらないものが有ると思います。
それは、人間が感情の生き物で有ると言うことや野性を備えていると言うことなどです。
理想で語られる素晴らしい社会を全員が求めることはなく、千差万別な人間が存在し続ける限り、課題は無くなりません。
いつの世にあってもリーダーは存在し、人類が死滅しなければ歴史は紡がれます。
10年後に振返っても2017年は当然に皆の記憶にありますけれども、500年を過ぎたときに後世の人間が2017年をどのように捉える物か?私にはわかりません。
皇紀2677年に毎年起きたことを記憶している方は稀でしょう。
一般の方であれば、近代以外は、平均しますと100年から200年に一度程度の年号しか記憶に無いのではないでしょうか?
そのように俯瞰したときに2017年が世界史で見てどのように刻まれるものなのか、実はこの年が大きな変革を与える年になるのか、予兆があるのかもしれません。
大きな流れで考えてみましたけれども、近視眼的に見ましても少なくとも2017年に日本で現役でビジネスが出来ると言う環境は世界の中で大変に恵まれていることは間違いありません。
弊社で見れば10年の節目を迎えた今年は恵まれた機会を大いに活用するべき年で有ると確信しています。
恵まれまして、『守りながら攻める』課題が与えられるほど、守りの課題も増えてまいりました。
従来から、『大切な物を守り続ける為に大いなる力を得たい。』と考えていました。
日本の経常利益額がリーマン以前水準を取り戻した今の日本において、対前年比を上回ることは当然なのかもしれません。
より骨太な体質になるために貪欲に学び続けます。
その為にもアンテナを張り巡らし、変化の予兆や時代のうねりを感じ続けられるよう精進していこうと思います。
本を読んだらアウトプットが大切だと感じる一週間でも有りました。