巷のリーダーシップへの違和感

経営者として学び続ける中で様々な本で、リーダーとマネージャーの違いなどが記載されているものの、未だに全員が合意している定義が無いように感じます。
場面場面で使い分けられたりしているので、自分たちの都合よく解釈されているように思います。
私自身も人に伝えるときは難しいなといつも感じておりましたけれども、最近の学びでなんとなく違和感有ったものが朧気ながらも見えてきたように感じています。

それは、巷間で言われているリーダーシップは組織論ありきの話である為、私にとってはマネジメントの問題でしかないと整理できて来ました。
組織には戦略が必要です。
その組織を目的に向けて適正に運営するにはマネジメントが必要となります。
ほとんどは、組織を運営する為に必要なマネジメントを徹底させる為の情熱をリーダーシップ理論として活用しているように思います。
ただし、本質的なリーダーシップは全く別物だと思うのです。
メディアで伝えられる会社を見ていますと社長がリーダーであるとも限らないように感じていました。
リーダーは役職で生まれるものではなくフォロワーがいて初めて成立するものなので、その個人の行動の結果でしか有りません。
世の中には役職が上がれば自分自身の地位が上がったように感じる方がいらっしゃいますけれども、役職はあくまでも役割でしか有りません。
役職における役割は、組織の中の機能であって、人格として認められているかどうかは別問題です。
望むらくは役職と人格が同一レベルに有ることですが、現実には不均衡であることも多分にあると思います。
部下とフォロワーも全く性質が異なります。
部下は組織が求める結果を成立させるという同じ目標に向かって職務を果たし合う関係であって、それ以外の指揮命令は無用です。
フォロワーはリーダーが理想とする社会世界の為に心から同意して、指揮されずとも勝手に応援してくれるような存在です。
何より生まれついてのリーダーは居ません。
どんなに大きな会社で社長を継いだところでそれはマネジメントを引き受けたと言うだけで、社長がリーダーであるかどうかは全く別問題です。
そもそも名刺や肩書きで生きている人間はリーダーとは言えないと考えています。
リーダーは自らで決断を下し、周囲の人間が現時点で見えていない世界を目指して、孤独な道を歩み引っ張り続け、自らと周囲を鼓舞できる人間でしかないでしょう。
しかもリーダーが報われるかどうかもわかりません。
リーダーが成し得た後は、それが当たり前になりすぎて、それ以前に何故そのような行動をしていなかったのかすら理解できなくなります。
振返ると、何故今まで思っていても変えることが出来なかったのか不思議で仕方がないことのように思います。
それはあたかも自転車に乗れる前との違いのようなものではないかと考えています。
自転車の乗り方は頭でどんなに理屈を理解しても、実行動が伴わなければ絶対にマスターできません。
しかも乗れた後には、以前に何故乗れなかったのか良く分からなくなってしまいます。

マネジメントの世界ではこの課題クリア後をしっかり振返ることで同じ課題の乗り越え方を教えていくと言うことに繋がると思います。
また、その成功の罠に囚われ、サーチ能力を失ってしまうかもしれません。

それに比してリーダーは課題クリア後には、更なる別の課題達成に向け走り続ける方です。
成功をゴミ箱に捨てて、次に進めていくこともリーダーには必要です。
自分の生まれた意味を考えて、一度限りの人生を如何にして生きていくかは、環境を理由にせず、自分の意思が何よりも大切であることを理解して行動を続けるしかないと改めて感じています。
今年度達成すべき目標に向けて猛然と邁進してまいります。