学生時代は伯父さんに貰って漫画ばかり読んで本を読む機会は少なかったように思います。
それが、社会人になった途端に太郎代議士から
「漫画を読むなら週刊誌で読むことと、漫画の10倍本を読め、出なければ漫画を読む資格は無いし、正しく理解できるわけがない。」と言われて、
漫画の量を減らして読書に勤しむようになったわけですが、
漫画を正しく読むというのは時代のトレンドを把握するのに有効であるという価値を理解しておく必要を説かれていたのだろうと今更ながらに気付いたりしています。
では、本も正しく読むとはどういう事かと考えますと、これまた色々と奥が深いなあと感じることが多いです。
年間100冊程度の本を購入するようになって10年程度ですけど、ほとんどの本には何がしらの引用が使われています。
この引用元を理解しておかなければ、例え話で使われている価値を正しく理解できないので、本を正確に読めたとは言えないように思っています。
特に海外の本に出てくる歴史上の人物やビジネス上の事例はなじみが無かったりするので、ピンとこない時もあります。
これをしっかりと読み解かないと著者の伝えたいメッセージを正しく認識できていないと感じる機会が多いです。
以前、グループで「韓非子」を読むように言われた研修がありましたけど、メンバーの感想を聞くと春秋戦国時代の背景を理解していないが為に、議論自体が上滑りしているのを感じたことがありました。
私は、ちょうどその時代背景が好きであったこともあり、例え話を解説していく手法にわかりやすい物だと感心していたのに、知らない人にとってはなんら価値を見いだせていないようでした。
翻って、読んでいる本を私は理解できているのだろうかと考えてもいまして、年間20冊程度は読了したものを再度手にしたり、その中の出典元を探したりとして、少しづつ理解を深めていく本もあります。
本が血となり骨となり、私自身が実践できるようになるまで、感動を頂いた本は何度も読んでいこうと思います。
最近は著者の方と直接に触れ合った経験のある本や翻訳者に会う機会も有ったりと大変恵まれていまして、これらの方に会った後に本を読み直すとまた気づきのポイントが変わったりすることも本の楽しみだと感じている次第です。
本との対話の時間を今後も大切にしていきたいと思います。