「どうすればそのような情報が入るのか?」
といつも多くの人を羨んだりしていました。
何か私の知らないメソッド的なものがあって、それさえ手に入れれば同じように情報が入る仕組みが出来るのだろうと画策したりしていました。
そして今現在、特別に情報量を持っているというわけではないですけど、以前よりは確実に感度が上がってきているように思います。
それは振り返ると、いろんな本にも書いてありましたけど、まずは常に興味関心を持ち続けるということなんだろうと思い始めています。
どんなことにも興味を持てる方は良いのですけど、私は興味の有無がそれなりにあります。
そんな場合も興味のあることを常に考えて意識しておくと勝手に情報が入ってくるように感じています。
それは、以前とは違いネット社会を象徴するように情報が溢れているからなのでしょう。
ひところ昔は情報は限られた世界だけに認められたものであったりしたものが、今や知識や情報だけでは価値がないことが多くそれをいかに活用できるかが重要になってきていると思っています。
「情報は必要な人のところにやってくる」または「情報は活用できる人のもとにしか集まらない」の通り、やはり情報の入手はほとんどの国民が同じレベルで享受できているにもかかわらず、個人の差は広がり続けています。
それは、やはり情報を如何に活かすかと言うことにかかっているように思う次第です。
そうしてくると「情報」と言う言葉自体が意味合いを変えてくるといいますか、日本での価値が認められていないことかも知れないとも思うようになりました。
英語では「インフォメーション」と「インテリジェンス」と言う日本語では双方情報と訳されますけど、前者は単なる現象を表す言葉の羅列ともいえ、後者はある程度加工されていて活用できる物にわかれるように思います。
未だにこの点の議論がなされていないので、正しく情報を活用できる文化が醸成されていないのかもしれません。
如何に目の前を通り過ぎている現象・事実からより有効なものに昇華できるのか、情報の取扱いはやはり重要だと思います。
これだけ簡単に一次情報が得られる現代はやはり恵まれているので、出来ない理由を探すよりやれる方法を考え続けることの重要性を改めて感じ入る次第です。
与えられたこの恵まれた環境を如何に次世代に渡すのか?溢れ出る情報から必要な情報に変化させていく為の本質を探るべく、まずはアンテナを張り続け多くのことを吸収していこうと思う次第です。