自我作古と遠慮近憂

今週教わり、大いに刺激を受けた言葉が表題です。
自我作古は慶應出身の方にはお馴染みの言葉なのかもしれません。

自分が道を切り拓きここからが歴史となるので、自分が古の物になるというのは大いに浪漫も感じます。
『我の前に道はなく我の後に道は出来る』と言う表現から更に長期間続くイメージも感じました。
そもそもこれだけの心意気を持つことが出来れば、目の前で起きている様々な課題に対して、自らで解決してその後も継続していくので、課題に感謝すら出来るようにも思います。
私自身は敷かれたレールをひたすら効率的に動き続けるという活動に全く自信がありません。
新たなレールを敷くなり、道なき道を歩んでいく事の方が向いていると感じていますので、自我作古を今後も大切にしていこうと思います。
この言葉を教えてくれたのは高家正行氏でした。
会食の予定が大幅に減り、人に会う機会が奪われていますので、youtubeの映像から様々な刺激を頂戴することが増えている中で、高家氏の講演を拝見することが出来ました。
数年前に公志園の活動でご挨拶をさせて頂く機会を得ました。
当時は憧れの三枝匡氏の後任としてミスミの代表をされていて、小説で紹介された話などを沢山拝聴していました。
語り口は大変穏やかですけれども、乗り越えてきた業務は只者ではありませんで、沢山の学びを得ました。
改めて経営者を目指す若手に話す講演会を拝見して、その迫力を感じました。
そこでもやはり丁寧な言葉使いでしたけれども、覚悟と実行力はとてもとても容易にまねできるようなものではありませんでした。
三枝氏の本にも度々出てきていた『修羅場を超える』ことの必要性を論じておられました。
私自身が修羅場を経験できているのか?と自問自答しますにまだまだ不足していると感じています。
修羅場を体験するにはやはりコンフォートゾーンからの脱却が必要です。
事業責任者として無責任なことは出来ませんので、顧客や社員の為にも当然にしっかりとしたサービスの標準化を果たすとして、その先に到達するために意図的な修羅場や不安定環境に身を置いていくようにしたいと思います。

これらのことを考えている中で東洋思想の田口氏から個別に送って頂いた言葉が『遠慮近憂』でした。
「将来を慮らなければ近く憂うべき事態が必ず起こる」と理解しております。
現在、様々な将来構想をしております。
若いつもりでいましたけど、もう決して若手扱いされる齢では有りません。
『放勲欽明文思安安』足るべくまずは放勲目指しまして、将来構想を練り続けておりますので、大変に有難く自分の背中を力強く押して頂きました。

組織とは、『社会的意義』と『人財育成』こそが原点であることも学びました。
私共の組織の社会的意義はしっかりと理解されるものだと思っておりますので、大いに期待できる人財に更なる活躍をしてもらえる場を提供していく事をしっかりと果たしてまいりたいと思います。
劉備玄徳が諸葛亮孔明に軍師を任せた歳が、今の私とほぼ同じ年齢です。
当時の孔明は27歳、これはやはりトップとしての後継者育成と言う最も大切な偉業をしっかりと果たすべく行動していたことの証左であると思います。
まだまだ、そこまで至ってはおりませんけれども、多くの大切なお手本を持ち、次世代の方々に良い未来を渡すべく、一層研鑽を積んでまいります。