盆に思う事

私は仏教徒ではなく、信心深い宗教心も持ち合わせていないので、盆と言う考えも社会人になってから数年経って何となく理解しているレベルです。
夏休み時期は軽井沢に親世代、祖父祖母世代が集まっていたので、その孫の一員として毎年各イベントに参加していた思い出が有ります。
振返りますと、この盆時期は精進揚げが毎年振舞われていました。
親世代は入れ代りで子供世代の面倒を見ていて、我が母親がいる場合にのみ送り火の説明を聞いたくらいでした。
私がこの時期に考えますのは、世間でも同様の傾向にあるかと思いますけど、大東亜戦争の終結についてです。
多くの自治体で8月6日、9日、15日にはある時間にサイレンが鳴り響き黙祷を捧げる機会が有るかと存じます。
私も祖国のために尊い命を投げ出された英霊に対して、深い哀悼の意を表することは継続しています。
現時点で有事が起こった際にも40を過ぎた私は元自衛官であっても即時呼ばれることは無いのかもしれません。
以前は40歳前までは有事の際に最初に声がかけられるものと考えており、40を過ぎた際にはその事について熟考もしました。

戦争当時は40を過ぎた際に最前線においては、あまり役に立てなかったものと存じます。
多くの遺書も若い方の物が多く残されています。
今の自分よりも若い世代の方々が、次世代や遠い未来を考え、尊い命を投げ出された事実を我々は深く刻んでおかねばならないと思うのです。
彼等は戦争を好んで始めたわけでは有りません。
時代の流れもあり、避けられない事象も含め追い込まれていた事実も多分に有ります。
今の時代で考えると戦争回避の手は種々有ったのかもしれませんけれども、失った命は戻っては来ません。
時のリーダーに多くの責任が伴うのは当然ですけれども、我々の先輩が多くの物を投げ打ってでも残してくださったこの国家を我々は大切にしてかねば成らないと強く考えています。
国家観については多くの方で見識が異なっても良いと思っています。
統一される必要もないかとは思いますけど、歴史に習い、次世代をより良いものにする当事者として生きている我々が現役時代に出来ることは全てやっておくべきでしょう。

『平和』の反対の定義として『戦争』を挙げられる方も多数いらっしゃいますが、私は『混沌』であると考えています。
『戦争』は政治の一つの手段でしかありません。
この手段を取らないで済むように国民も一人一人が真剣に考えねばなりません。
また、環境に変化が有って祖国に尊い命を投げ出した場合に祖国が最高の栄誉をもってこれを敬するのかは国民が今も見守っています。
75年もの間、細かい紛争等は除いてこれだけ平和を享受できたことはとても有難く恵まれていたと考えています。
だからこそ出来ることに関して己の最善を尽くしきる必要があるのだと日々感じています。

COVID-19は多くの事を考えさせてくれます。
情報は逐次更新されており、バイアスのかかったメディアが一定の方向へ国民を無意識に操作するような行動をしていても自分の頭で考える人が増える機会になるものとも感じています。
高度経済成長期を経験したことが大きな仇になっていたのかもしれません。
今回のvirus騒動を通じて本当に大きなパラダイムシフトが起こるようにも予見していますけど、その後にも常に価値観に変化を加えるインパクトを受けて変化していくのでしょう。
『Fact Fullness』で語られた通り、人間の多くは生きた時間をベースに考えてしまいますし、カエサルの言う通り数千年前から『人間は見たいものしか見ない。』生物です。
これからもよりよい社会を創り出すためにそれぞれの立場で考え続けることでしょう。
必要なのは考えておくことだと思っています。
違う考えを持っていたとしても、議論をする機会を作ることは出来ます。
考えていなければ議論自体もすることが出来ません。
考えているのか、周囲に同調しているだけなのか、日本の歴史に刻まれた敗戦と言う悲惨な過去を通じてでも熟考する機会が、多くの場で生まれることを期待しています。
何より私自身が当事者として歴史と向き合い次世代に素晴らしい未来を残せるよう精進してまいります。

今年は梅雨明けが遅かったこともあり、例年よりも残暑は厳しいように見込んでおります。
体調管理含め、しっかりと自己研鑽にも努めてまいります。