今週も新嘗祭など神事も行われる中で、学びと刺激の多い週を過ごしました。
振返りますと、東洋思想コミッティに参加させていただいていることに感謝することが多いかと感じました。
改めて而今の価値を感じた次第です。
将来の大きなことを想像することも大切ですが、『今ここ』をどのように生きているかがその将来に繋がっているので、常に目の前にある『今ここ』を大切に日々過ごすことを忘れないようにしておきたいと思います。
東洋思想コミッティは今はまだ小さな存在かも知れませんが、集まっていらっしゃる方々は早々たるメンバーですので、将来的には大きな時代のうねりを創り出す事に繋がると確信しております。
世界に冠たる日本の素晴らしさはやはり人財に尽きると思います。
これだけ地球が狭くなり、資源の限界を感じ始めている今、参考になるのは鎖国をしていた日本だと考えています。
江戸時代が全てにおいて優位であったとは思いませんが、学び得ることは沢山あると思います。
資源に限りが有る中で、再活用したり、仲間で分けある精神性などはとても参考になると思います。
特に二宮尊徳翁が実践されていた『至誠・勤労・分度・推譲』などからは、強欲からはほど遠い感覚を教われると考えています。
西洋の歴史を拝見するに『需・仏・道・禅・神』を取り入れる機会が少なかったように感じています。
とは言え、東洋でも数多い戦争の歴史から、これらの恵まれた教えを発酵させる時間のような猶予が無かった地域も多く有るようにも見受けられます。
日本はこれらの宗教を自分たち流に取り入れ全てを包含しながら導き出している答えは、大いに多様性を含んでいるので、混沌としているこの世の中にも様々な光を差し込む事が出来ます。
開国をする際にも佐久間象山や横井小楠などは西洋の技術の高さに感嘆しつつも、精神の幼さを危惧して備えてもいました。
西洋一強の世界の限界は多くの方が感じていることと思います。
かと言って、このまま中国が強くなることだけで、回避できる自体でも無いことも自明の理でしょう。
日本が果たすべき役割は大きいものがあると、僭越ながらも感じる日々を過ごしています。
現在の日本で私も含め果たしてどの程度東洋思想を正しく理解して発信することが出来るでしょうか?
私自身も全く持って自信は有りませんが、それでも一歩踏み出さないよりは少しでも動き出すことに価値があると考えるに至りました。
稚拙ながらも真剣に真心込めて行動すれば、少しは世の役に立てると考えています。
思っているだけではなく一歩踏み出すことが大切なことで有り、その時が来たと思い、これからは少しずつでも東洋思想の価値をより多くの方に知ってもらえるよう務めてまいりたいと思います。
その為にも私自身も日々学んでまいります。
幼い頃から祖母に募金に関して『募金をするのに額は問題ではない。高額の募金をすることに価値があるのではなく自分自身の環境で分に有った行動をする事が大切だ。収入に関係なく募金する人は募金をする、裕福になったら募金するという人は恐らく裕福になっても募金はしない。』と言われておりました。
東洋思想の広報についても同様の考えに至りました。
私が好んで東洋思想を学ぶのは、自然との調和を大切にしていて、心を震わせる瞬間を自然に見出すことが多くあるからです。
また、人間が全知全能なのではなく畏怖する物が多分にあり、多くの自然災害も受け容れ難くも受け容れ共存していく事を示唆してくれるからです。
また、多くの尊敬する方々が前を歩いてくださっている事にも感謝をしています。
これからも『而今』を大切に日々精進してまいります。