以前に同期に教わった心から離れない言葉の一つが忘己利他(モウコリタ)です。
最初は片仮名での表現からスタートされたので全く違う意味合いの『もう懲りた』を話されるのかと思ったところ、タイトルの説明をされましたので、特に印象的であったのかもしれません。
江戸時代の藩学においても自己中心的な考え方が如何に危険で、孤立するかを説いていたそうです。
最も恥ずかしいことの一つが利己主義の考え方であったそうです。
これは環境が与えてくれる場合と自らで律さなければいけない場面とがあるのだろうと気付きました。
組織に属して居れば、同僚の為、先輩後輩の為など、普段お世話になっている方への感謝と共に自然と湧き上がる部分があるように思います。
齢を重ねて、組織から離れますととこのタガが途端に外れてしまう方も多数いらっしゃるようです。
老害と言う言葉は私にはとても恐ろしい言葉の一つに感じます。
特に組織内から老害扱いされるようになるのはとても残念なことのように感じます。
勝海舟の人物伝を教わっている中で、晩年近い勝が如何に志を失い、さみしい余生を送っていたことを知りました。
多くの伝記によれば若くして蘭語を習得したこともあり、海軍のトップを務め、庶民の為また諸外国に付け入る隙を与えないために、江戸無血開城に舵取りをしたと言う英断出来た人物です。
鎖国状態の中で相当に知見を持っていたので、未来が予見できたと言う類稀な才能をお持ちであったのでしょう。
40代で明治を迎えるは判断が出来たというのもそれまでの修養が如何に素晴らしいものであったかを感じます。
それでも目標を失った活力ある老人となると周囲に迷惑を掛けてしまうことに成りかねません。
生涯現役で常に自分の世代と身の丈に合った志を持ち、社会に貢献していきたいと思います。
今週は、覚悟と自信の漢字の成り立ちについても大変勉強になる知見を知ることが出来ました。
それは『覚悟』と『自信』です。
『覚悟』を改めて読んでみますと、悟りを覚えると書いてあり、良く『覚悟を決める』と言う表現をしますけれども、この背景には悟りの境地に達する程の修養が必要であることを示しています。
『自信』も同様に読みますと、自分を信じると有ります。その為には一度も嘘をつかず誤魔化していない自分が必要となるでしょう。
1.自分なりの武器を持つこと
2.時代を見通す力を持つこと
3.今ここに全身全霊を掛けること
4.天に任す度量を持つこと
以上を自分自身で実行できますよう努めてまいります。