講師業

年に数度人前で話す機会があります。
本日はここ数年連続で依頼を頂いている看護師の前での病院施設のマネジメントに関する講義を担当しました。
普段から人前で話したり、書いたりすることを生業としていない事もあり、私が聴く側に回る時の講師に比べるとアイスブレイクから話の強弱、受講側に思考させるプロセスなど実力の差を思い知らされます。
それでも経験から学んだこともあり、少しづつ人前で話す時でも周りが見えるようにもなってきました。

人前で話す事で最も鍛えられているのは、人の話の聴き方かも知れません。
色んな講演時には可能な限り最前列に座るよう心掛けているのに加え、講師の目を見る、首を振るなど目に見える形で相槌を打ったり、大きなリアクションを取るようなりました。
質疑の際にも積極的に手を挙げます。
講演等で与えられたテーマについて一方的に話すよりも、質疑などがあった方が講師側にも自由度が生まれ、新たな学びや気づきに繋がります。

2〜3時間でどれだけ多くの学びに繋げられるかはやはりそもそもの受講生側の姿勢に委ねられるように思います。
ただそこに座っているだけの方に向けての講師側のメッセージとしては2〜3程度が限界かも知れません。
私自身が気合を入れて臨んだ講義であっても他の方に伝えるのはまずは2〜3のメッセージに限定されているようにも思うからです。
なので、最近は与えられたテーマに関してもちろん講義の対象としますけど、私自身の主たるメッセージとしては、現在の日本に居を構えてあると言う大変に恵まれた環境に先ずは気付いて頂く事と共に環境が変わり続けている事実、そして目指すべきは次世代への貢献ではないか?と言う問題提起です。

これまでの日本は努力をされた先人、並びに資本主義と共産主義の対決の最前線に不沈空母として存在していたという地政学上の恩恵と考えています。
現時点で私は生産性も低いことは認めつつ、何せ労働に対する勤勉性が損なわれている事がこれからの未来に対して大いなる不安を感じています。
更には働き方改革のメッセージをあまり理解できていない方による権利の主張が、個人を不幸にしてしまうと思います。

労働力が不足している以上、生産性を上げる事にも力を注ぎますけど、そもそもの就業時間も増やさなければ今までのように次世代に未来を見せることは難しいと考えています。
この世は努力した人間だけが努力した分、幸福を得られるのです。
一定期間だけ頑張ってもダメで、生涯現役で社会に貢献し続ける意志こそが大切だと考えます。
未来を創り出すのは自らの意思と自分自身の弛まぬ努力からしか生まれないことを次世代にもしっかりと伝えていきたいと存じます。