変革と創造はいつの世でも求められています。
私が教わっている変革と創造とは事前の不確実性と事後の常識性とされています。
実現創造するまでは不可能に見え、実現した後には当たり前になっていることは多いと思います。
弊社においても病院の一部署であったものが、分社独立して十年を経ることが出来ました。
12年前の2005年当初には分社して稼ぐ会社になるとは、誰も思っていなかったことでしょう。
今ではある程度の安定した利益を見込まれるほどの組織となることが出来ました。
変革と創造は誰が起こすかと言えば、気付いていしまった人間なのだと思います。
また、気付きをそのままで終わらせず、一歩前に出ることが出来る人間にしか達成できません。
一歩踏み出したところで終わりではありません。
誰にも見えていない世界が見えてしまった人間は、周囲を巻き込みながら形を成していかねばなりません。
それは孤独で容易な道ではありません。
誰しもが達成できるとも限りません。
それでも事後の常識性を力強くイメージしながら進んでいける人間こそが将来的にリーダーと呼ばれるのだと思います。
リーダーとマネージャーは、至る所で議論されますものの定義は人や組織によって異なったりしています。
私も場によって異なる使いわけをしています。
本質的には生まれ付いてのリーダーは居らず、結果としてリーダーになるものでありまして、そもそもリーダーを目指すことはおかしいことのように感じます。
気付く人間は数多く居ることでしょう。
それでもそれを評論して終わるのではなく一歩を踏み出せる人間は少数です。
更にはその活動を継続できる人間とも成りますとますます少なくなるでしょう。
評論家との大きな違いはまず一歩を踏み出せるかどうかです。
残念ながら評論家は一見優秀に見えることがあります。
それでも本質を理解できる人からすると、なんだか「匂い」で見極められているように思うのです。
指摘こそされませんが、経験値から来る匂いの違いは行動によって差が開くだけです。
人生を評論家で終わらせるか、一歩前に出るかは「この指止まれ」が自らで出来る人です。
ただし、そこには当然正しい志と信念が必要なのは当然です。