その昔から、「新聞はあまり本当のことを書かない。熟読するのではなく眺める程度でよい。新聞も商売なので売れている物ほど意見がなく、大衆迎合となる」などと言われて育ってきましたので、新聞と言うメディアに対してそもそもあまり信頼をしていません。
テレビも「電影箱であるから、娯楽でしかない。業界人でもないのに毎日映画を見ているような人間が仕事が出来るわけが無い。」との観点から、日常的に観る習慣はなく娯楽として週に何時間か楽しむ程度にしているのみであり、報道機関としてはあまり信用をおいていません。
主題の件がネット上で起こることは「さもありなん」とも思っています。
なんとなくネットの信憑性を下げることを目的としているだけで、他のメディアにおいても同じレベルであることは多くいづれにしても自らの意思でしっかりとニュースを判断する必要が有るだろうと思います。
ネットだから、個人が投稿しているからと言う背景ではなく文脈から読み取る力が読み手に必要でしょう。
加えてニュースソースが正しいかどうかの検証も個人がするべきことだと考えています。
個人的には新聞は結果としての事実を書いているものの、そこにいたる過程には小説が多く入っていて、そこに新聞社としての主観やバイアスがかかっているものと感じています。
フェイクニュースについて一番思うことは本人の不徳のいたすところで信憑性がましてしまうと言う点です。
事実でないことが伝えられていても、普段の言動から有り得る話と捉えられてしまうことは、ある程度伝えられる側にも責任が有るように思います。
社内で例え話をすることで、遅刻したスタッフが居たときに、「何かがあったのではないか?」と心配されるのか、「どうせ寝坊だろ」と呆れられるかは、普段の行動次第です。
私の所にも色んなスタッフの行動への確認がありますものの、誤解をされるような行動をしている側にやはり責任は大きいと思います。
個人の心持ちを他の人が完全に理解することは難しいです。
誤解をする側と誤解を与えた側では、圧倒的に後者が悪いと考えています。
フェイクニュースと言う事実と異なることを発信することは止めなければいけませんけれども、場合によってはそれを言われる側にもそれなりに責任がある場合もあるかもしれないと、普段の人間の習性から感じる所があります。
それでもステレオタイプに思考を止めて情報を受け入れる側に大きな責任と結果が伴うことを忘れずに、自分自身も情報に触れて行こうと思った次第です。