中学から大学生活は、江戸で過ごせた事も有り、テレビなどで特集される前から、何となく街の中の流行などは体感できていたように思います。
更には流行になる前の大分前の物や結果流行しない物の一部の人にだけ流通したものなど色々と感じることが出来ました。
結果として、江戸を離れて青森や千葉などに入ってからはあまり流行ものには手を出さない感覚が身につきました。
泡沫の様に消えて行く物が多いので、洗練されて残った物を活用するのが自分には合っていると感じている次第です。
自分の好みの物に関しては流行など気にせず飛びつきますけれども、SNSやスマホなどは大分遅れての参入者だと思っています。
よって、先進的な物を見つけるセンスは非常に弱っていると感じつつも、遅れてでも変化には前向きに取り組むようにはなっています。
一時の流行で終わる物と世のスタンダードになる物との違いはどこにあるのか?と私が考えるにそのアイテム(商品に限らずアイデア含む)が公的な要素に早い段階で気付いて取り組めるか?そのアイテム自体の奥深いスペックまで踏み込んで考慮できているのかなのではないか?と感じています。
どんなに良いアイデアも公共心が無い物は、廃れ行くのは当然の摂理だと思います。
スタート時には公共心など無くとも、大いなる力には大いなる責任が伴いますので、その責任に適う者にしか継続は許されないと感じます。
その上で、そのアイテムの有用性を世間が認識している以上に知り尽くしているかが更なる分かれ目だと思います。
有用性を知る為には、活用方法を検討し続けなければいけません。
その為には広い世界を知っておくことがより早くゴールに辿り着けるように思います。
公共心を持って一つのことを掘り下げる、そのバックグラウンドには幅広い教養を磨き続ける人格が重要なのだろうと思い、自らの行動を戒めてまいります。