学習から学問へ

皆様、令和を健やかにお迎えになられたことと存じ、謹んでお慶び申し上げます。

令和の時代に限らず、常に課題はあるものと思いますけれども、いつの世も教育が重要であると考えています。
歴史から学ぶ機会を多く増やさなければ、自分で見える範囲でしか判断が出来なくなることを危惧しています。
何より、最近特に気になりますのは、『自分の頭で考える』方がとても減っていると感じる点です。
様々な問いに対して、解はありますけれどもそれらを知識で答える方がとても多く見受けられるのです。
カーナビ上司と言う表現もありましたけれども、どんどん思考を止めて、単なる試験への解を答える方が増えているように感じます。
試験には答えがありますけど、実社会には正が見えないことが沢山あります。
そんな中でも自分の志・信念に拠って、より正しい道へ近づける努力を継続するしか出来ないと思っています。

学び習うから、問いを学ぶ時代が常にあったかと思いますけれども、目の前の経済的繁栄を求めて単調な学習を明治維新以降実施してきてしまっているように思います。
勿論、それによる栄華を受けて、我々の時代が恵まれらたものになっていることは感謝とともに受け入れています。
ただし、このような時代が永く続かないのは当然であるのも歴史に学ぶことが出来るでしょう。

人間は常に自分の頭で考え続けなければなりません。
限られた人間だけになるのかもしれませんけれども、気付いてしまった人間には多くの使命があります。

昭和の高度経済成長期を追い求める方がいらっしゃいますけど、私には世界の中で自国だけが伸びることを良しとする風潮が理解できません。
あの時代は冷戦と言う背景があって、不沈空母として共産圏との最前線に立っていた西側職から日本への最大配慮とも言えるでしょう。
平成の時代に中国が伸びたことも、冷戦時代に上がりすぎた日本経済への抑止力として成立していると思います。
もっと永い歴史で見れば、大国とはやはり人口に比するのが当然でもありますので、面積が限られている日本において経済のみで一番を目指し続けるのはそもそも違和感があります。
一番を目指すことはとても大事ですけれども、どの分野で一番になるのかはしっかりと考えなければいけません。
日本にとって何が大切で何を誇りにしていくのかは歴史を紐解いていくことで多くの気付きがあることと存じます。
その大切なものが国民全員で全て同じになることはないと思いますけど、複数名によって多く重なるその事象を次世代に残してまいりたいと存じます。

元号が変わることで多くを考える機会が生じたことと存じます。
私自身の商売への取組もギアを上げていくより具体的なイメージが湧いてきました。
何より、学びを深め教わるだけから、自分の頭で問い続けることをしっかりと継承したいと思います。

正しい答えを求めるのではなく、正しい問いを探し続けたいと思います。