知ると考えるの違い

飛行機に乗る機会が多いので、本を読む機会も自然と増えています。
最近は国際線にも乗りましたので、映画を観たりと非日常を感じていました。
本を読んだり映画を観ると知識が増えますけど、考えているかは全くの別問題です。
知らないことの接点を持つ事はシナプスを刺激して考える機会になる確率は高まりますけど、考えることを確約するものではありません。
やはり、自分の頭で考え続けると言うのは容易ではないと感じます。

人間は一日に二十万から百万もの決断をしているそうですが、その中で真剣に考える機会は少ない事でしょう。
洗顔や歯磨き、着替えなど日々の習慣に基づくものには一々思考を深めてはいないと思います。
業務上でも慣れた作業であれば深く考えることなく当たり前にこなしていくのでは無いでしょうか?
これこそが日本人なのか人間の性なのか、今の私には分かりませんけど多くの方に見られる現象です。
かく言う私も同様に思考を止めていることが多くあると認識しています。
そもそも論を唱える機会が減っているように感じる事に危機感を覚えます。

憲法であっても人が考え出したことなので、そもそも論を議論する事は大切です。
これを毎日のように変えてしまっては如何なものか、とは思いますけど定期的にはそもそも論で振り返り環境変化に合わせて適宜色んなことを変えていかねばならないでしょう。

先人のお陰で戦後(第二次大戦を指しています)大変に恵まれた環境を我々は与えられました。
それでも現代は戦後とは大きく環境が変化しています。
それを金科玉条の如く取扱い続けることにとても不安を感じています。
『失敗の本質』から何も学べていない事が残念な限りです。

それでも色んな方にお会いしていくと思考を止めずにリーダーシップを発揮し続ける方はやはりいらっしゃいます。
少数かもしれませんけど、やはり居る事は間違いありません。
マーガレット・ミードが残したように
思慮があり

動力のある人々

たとえ少数でも世界を変えられる

それを決して疑ってはならない

実際、それだけ

これまで世界を変えてきたのだから」で間違い無いと思います。

私自身も疑わず、自分の信念に従って思考を止めずに歩んで参ります。