凄い記憶力より雑でもメモ

最近はグループの歴史に触れる機会が多く色々な思い出話を聴く機会がありました。
また、文献として残っているものにも改めて目を通してみました。

文書で残ってみるものを読みますと、話で聴いていたものとは少し異なったりしていました。
それは細かい年月だけではなく、エピソードの2つが一つに纏められていたり、私にとっては重要であったような事実が端折られていたりと感じることもありました。
想い出話をいろんな場面で話す分にはある程度事実と異なる点があっても良いと思っていますものの、
文献として残す際には主観と事実は分けておくべきだろうと思います。
私含め過去の話を思い出そう利太時には人との会話でもフックすることはありますものの、やはり手帳などをめくる事で、色んなことを思い出すことができます。
自力で思い出すことはとても難しく、更には自分の解釈が入りやすくなってしまいます。
今回拝見した読み物では、その記憶も曖昧になる前にとお亡くなりになった方へのエピソードなりを集められていました。
記憶に頼っての文献も趣はありますものの、記録を残しておくことの大切さを痛感した次第です。

その為にもこまめにメモを取り、事実と個人の想いがわかるような記載の仕方を心がけるようになりました。
取引際の会社によっても異なりますけれども、議事メモなどでも記録を残すことをどのように扱うかは将来において大きな差を生み出すことを感じました。
スピードを大切にしていますと、瞬間的には議事録や報告書の作業を手間に感じることも有るかもしれませんけれども、文書を残しておくことは未来の方の役に立つことがあるかもしれません。
不要なものはそれを理解した時点で削除すれば良いだけでしょう。
メモを取るなど記録することの重要性を改めて感じておりますものの、現時点で全く思わない人にはこれを理解してもらうにはなかなか時間がかかる事かもしれません。
まずは、記録を取り易くするような工夫をするなどして、議事メモの習慣を身に付けてもらいたいと思います。
現在は、以前の紙文化と比してデータで記録・保管など手法は容易になっています。 
記録に改竄を起こさない心構えも大切です。
やはり今の瞬間を見るのではなく、せめて中長期的な目線を持ってもらいたいと思います。
最近は、サピエンスの2~30万年前の歴史や、言葉ができてから5千年の歴史を考えるに連れて、長いスパンで物事を考える大切さにも思いを馳せたりしています。

それでも人間の本質にはあまり変化が有りませんので、感情を持っていて、人間関係の中で色んなことが動いていくことには違い有りません。
過去を振り返って想像することで、色んな時間を旅することができるのも人生の喜びの一つであろうと思っています。