敬意を払う

海外に限らず、初めての土地に踏み入る際には常にその地方やお住まいの方に敬意を払う必要があると考えています。
今月のANAの機内誌で同じようなコメントを書いている方がいらっしゃいましたので、思う所を記載します。

以前、泰國紀行でも記載しましたが、多くの観光地で立居振舞がなっていない方が目立ちます。
最近では、お隣の大陸の方もそのようにお見受けするように感じます。
ただ、隣国の場合はある程度集団心理が働く為、周囲に気を配りづらくなる点もあるので、見定めるにはもう少し時間を要する必要が有るかと考えております。

敬意を払えないという事は、自分自身に畏怖するものが無いという事なのか、もしくは対象が目に見えるものまたは限定的でしかないという事なのかもしれません。
科学的に判明できない自然現象などに畏怖してきた結果(勿論それだけではありませんけど)、多くの地には神が生まれてきたのだろうと考えています。
これが、神なのか神々なのかでも大きな分かれ道のようですけれども、まだまだ人間は科学だけでは理解できないことが沢山有って、常に謙虚である必要を感じます。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の通り、注目される立場の人間は更に謙虚さが増していかなければ、リーダーとしてはふさわしくないように思うのです。
 

最近、関連して読んでいたエグゼクティブマネージャーについて書かれた本でも「徳」の重要性を訴えていました。
「徳」を科学しようとする欧米の考え方にある程度感心しつつ、結局のところは人間性として高める努力を個人がする必要が有るのだと考えている次第です。

その「徳」のためには志や信念が必要であってといつもの議論に帰着するのが最近の私の思考です。
悩み、葛藤して、悔しい思いを多く積んだ分だけ、成長の機会を与えられているのだと考え、さまざまな課題をクリアしても奢らず謙虚に行きたいと思います。
その為にはやはり与えられた機会の何事にも感謝心が大事なのだろうとこれまたいつもの結論となっています。