内憂外患の常

老子を少しずつ学び始めました。
大筋としての中国古典の能力の高さを理解する上での認識としては、この世の中は現時点では原則法家(韓非子)が最も支配上活用されていて、それではなんだか人間性として淋しいので目指すべきは儒家(四書五経)として人徳を学び、法家も儒家も限界があることに気付い達観した人間には道教(老荘子)があるというように捉えています。
上記は出口氏の影響を受けての見解でも有ります。
老子を一つずつ読んでみますと、分かるように思える事と未だ分からないことがに大きく分かれます。
分かるような気がするものは数年前であれば納得しない表現でもありました。
上り坂の儒家と下り坂の道教と言う言葉が有るそうで、私自身の様々な刺激を受けている状況に拠っても捉え方が異なるのだろうと思っています。

古典に学びつつ、現代社会を見てみますと、いつも同じような話題をただただ繰り返しているだけで、根本の議論に触れる機会が少ないと感じます。
社内の会話を改めて聴いていても如何に枝葉末節にこだわっていることが多い事かと気付けます。
勿論、枝葉末節論自体を全て否定しているわけでは有りません。
魂は細部に宿るの言葉も有るように、最終的には隙の無い状態を目指すべきですけれども、本筋的に外れている事かどうかのそもそも論の議論をしておかなければ、大いなる変革期には対応できなくなることでしょう。

新聞報道を見ていてもいつの世も、『内憂外患』を伝えています。
そもそも人類が生活している上で、『内憂外患』が無くなる事は無いでしょう。
程度の違いはあれ、常に内部に課題が有って、外部の環境は自分たちの支配下に無い為、変化を受け容れるしか有りません。
目指すべきは常に変化が出来る自分たちで有るかという事なのでしょう。
昨年からの武漢ウイルスの影響は、飲食業界と旅行業界を極端に苦しめています。
業界にとっては、ある程度対策のできる武漢ウイルスが問題なのではなくて、政府の政策が問題であると捉えていることも間違いないと思います。
目の前にある課題を解決するにはレイヤーを上げて考えることがシンプルになります。
競合との日々の争いの自社的解決策を探るのではなく、競合を含めた自社業界の底上げこそが真の課題解決となります。

明治維新以降特に第二次大戦以降、今日まで西洋的なゼロサムゲーム(Winner takes all.)と言った私個人としては好きではないゲームに思考を奪われていた様に思います。
結果として、様々な社会課題を迎えその都度解決をしてまいりましたけれども、結果として地球上での人類の存続に大きな疑問を呈するような状況になってきています。
武漢ウイルス以上にCO2削減への取り組みは人類社会が取り組むべき課題になっています。
今まで出来ていたことが出来なくなるストレスはこの1年半で多くの方が感じていらっしゃると思いますものの、更なる制限が課される可能性が高まっています。
それも日本を含む西洋主導の社会で恩恵を受けている人間の欲のみから来たものです。
グローバルサウスの方々に向け、生活の変容をしていくべきだと考えています。
日経新聞にジャックアタリ氏の寄稿がありました通りになるのか、まだ明確な答えを持っておりませんものの、CO2削減のためには移動に要していた飛行機などの使用削減がCO2削減に大いに寄与していることから、観光業については2年前にするわけには行かないでしょう。

武漢ウイルスは人的災害であることは間違いないと考えており、日本の社会保障費を更に押し上げ、未来からの前借が進み、淘汰されるべきであった医療機関の再編は数年足止めとなっていたりと、良く無いことの方が沢山有りますものの、一点CO2が削減されたことは人類へ大いなる示唆をしていると感じています。

予てから尾崎行雄は世界政府を論じ求めることで世界の争いを避けることを提言しておりましたように、CO2削減については世界が一丸となって取り組むべきであると考えます。
内憂の定義を地球全体として、宇宙環境を外患と捉えられるよう視点を上げての解決をしていく日が近づいているようにも思います。
振返って、笑い話になる事ほど有難い話は無いので、これから杞憂に終わるなら何よりとして、環境変化を抑える活動に精力を注いでまいります。