モンゴリアンの継続性と脅威

プーチンに続き、習近平もまた永続的なリーダーになるべく動いています。
パックスモンゴリア―ナの時代は最も陸上世界を制覇していることは全ての国家においても歴史で伝えていることと思います。
チンギスハーンに始まり、遊牧民族で有ったことや地域ごとの自由度を認めたり、フビライハーンのように出身地や民族に関係なく能力だけで登用してきた事実など、経営上参考になる事が多分に有ります。
モンゴリアンの特徴として、終生族長と言う気風が有るように感じています。
少し前までは北朝鮮のみその風習を引き継いでいるものかと考えておりましたが、プーチンや習近平を見るにつけ、やはりモンゴリアンにはそのような考えが良いと受け容れる文化が残っているのだろうと思います。
日本にも天皇制度がある為、それよりさらに強く一族の伝統性などを感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、保有している権力の違いがあるのと、モンゴリアンはハーンになれるかどうかは実力で有って一族に保証されているものでは有りません。
翻って選挙制度を持っている国は、どうしても短期的視点への配慮が必要となり、長期的な施策を打つ事に限界が有ります。

権力は魔物でも有るので、長期的にその立場に有って身ぎれいに保つ事は容易では有りません。
勿論、今までにお亡くなりになる迄、聖人で有った方は沢山いらっしゃいますが、暴君に変化してしまった方が多いのも歴史的事実でしょう。
本当に正しいことは、長期的視点によって選ばれ磨かれるべきですが、人格を保つことがとても難しいのだろうと感じます。
また、世界は変化をし続けるので、それに適切に呼応していくのにはやはり年齢の壁がある程度有ると思っています。
民間と公的機関では役割が異なるので、特に政治的使命を果たすには選挙制度などで縛らない限り、生涯に亘って正しく生きることは歴史上やはり難しいのだろうと感じています。
貞観政要に学んでいますものの、李世民でも没後は継承者において混乱を招いた事実からも容易では無いことを示唆されています。

古典を学ぶのではなく、古典に学ぶというアスペンの思想はいろんな場所で役に立つのだと実感もしています。
世界は大きく動いている中、日本のプレゼンスが下がっているようにも見えますが、それは経済的な視点のみで有って、民族性や生活環境としては大いに注目されていることを感じます。
結果として、旅行者はこぞって日本を目指すことに繋がっているのではないでしょうか。
円安を殊更に煽るマスコミが目に付きますが、日本は円安で儲かる商売も円高で儲かる商売も双方を抱えています。
また、世界のマネーゲームに付き合う必要は無く、日本国内の良い物を再評価して、食料やエネルギーなどの自給自足率を上げる方法を官民挙げて実行して行けば良いのだろうと感じています。
その為には、食文化の回帰もある程度必要となるでしょう。
身体の酵素等から考えますと、地の物を食べることは良いことが多く有ります。
世界一と言われたブータンの幸福度が下がっている報に触れる機会が有りました。
考え方は自分の心意気一つで変わりますので、常に自分との対峙が大切だと感じる一週間でした。