自分の頭で考える

今週も恵まれた刺激を頂戴する時間を多く過ごすことができました。
結果として一番大切であると感じたことは当たり前の結論とも言える『自分の頭で考える』と言うものでした。
知識を持っている方は沢山いますけれども、頭の容量はUSBデータにも適いませんので、コンピュータに出来ないことは集めた知識を如何に活用していくかですから、その為には常に頭を使い続けることが大切でしょう。

知らない知識を溜め込むことはコンピュータ発明以前はとても価値あることでしたけれども、知識あるだけの人間は決断する人間に使われるのみと言うのも事実でした。
コンピュータの方がより多くの知識を有していることが間違いない以上、知識の量ではなくそこから昇華される知恵を如何に持つかがこれからますます重宝されることでしょう。
実は、自らの頭で思考する機会は昔から多くは無かったのが現実だと思います。
今目の前にあることに対応し続けるだけで生存確率を上げることにつながることが多く、周囲の慣習に従っていることが楽でもあるからです。

同じものを見ても反応は人それぞれ違うはずですけど、学校教育等で教わったことは何となくそのまま受け容れて同じ価値観を形成していくことが多いように思います。
そんな中、同じ情報量を手にしても発想が全く異なり人をひきつけるアイデアを出される方がいらっしゃいます。
専門分野などベースにある知識に関係なくどのような場でも面白いアイデアを出される方は固定化されてもいて、特徴はやはり常に考え続けていると言うことだと思います。

脳は鍛えれば鍛えるほどに成長を続けます。
脳細胞がある年から死滅していくと言うのは、使わないからに他ならないでしょう。
死滅する以上に活用できていない脳細胞があることも証明されています。
この自分の頭で考え続けると言うことは実は簡単ではありません。
世の中に流れている意見・コメントに対して常に疑問を持ち続けるには脳への継続したトレーニングが必要です。
それにより、肉体は衰えても脳を常に最高の状態に高め続けることが可能となります。

尾崎咢堂がいくつになっても『人生の本舞台は常に将来にあり』と言っていたのもこの事実に帰結します。
生物学的文明論によりますと、生殖機能を有さなくなった生物は生存する価値を無くすのが原則であるそうです。
人間はその後生きながらえられるので、その分次世代のために自らを活用することで生殖機能はなくとも次世代反映のために知恵を出すなどすることで、十分に貢献が可能だと考えています。
年を重ねるごとに次の世代への責任を痛感することは生物の忘れてはならない原理であるようにも感じました。

講演会等で自分が練り上げた文書を読むのではなく、全てが頭に入っている方が自らの言葉を紡ぎだして語り続けるのでは聴衆の受ける刺激は大きく異なります。
その為には講演者にも当然に教養や基礎的訓練・卓越した知恵が求められるでしょう。
自らで成りたいと思うものにしか、人間は成り得ないと思います。
もちろん、望んだからと言って全てが与えられるほど簡単な物でもありません。

自らの人生は自らの手で創り出し続けるという確固たる覚悟と弛まぬ努力が必要です。
これからも『なぜ?』『だから何だ?』『本当か?』を多くの事象にぶつけて今は解決できない自らの課題解決のために頭をフル回転させられる時間を増やせるよう、努力を継続・実行してまいります。