コックになる人間は料理が好きでなければ駄目

最近読んだ本のある章のタイトルにこのような記載がありました。
本文はドクターに対する言い分が記載してあり、社会常識に欠けた人間が医者になることに警鐘をならされていました。
医学教育において情操を涵養する必要があるのではないかという提言でした。

そして、結語として『医者になる人間は人間が好きであって欲しい』とされていました。
翻って弊社においてはどのような人間であってもらいたいのか考える機会を与えてもらいました。
私は経営理念やビジョン・バリューに共感いただけるのであれば、手法が異なるのはWelcomeで色んな社員による多様化を図っていきたいと思っています。
ただ最近は、私にとっては言わずもがなで表現していないために伝え切れていない点があるかもしれないと感じるようになりました。
その思いを表現してくれたのがタイトルのような物でした。
経営理念を理解する前提としての明文化されていない点が有るのだろうと思います。
私は、法律に書いていないことは何をしても良いと言う考えに与しません。
全ての事象を明文化することは出来ないと思っています。
定量的にすることは誰の目にも明確に出来るので便利なことは多分にありますものの、どうしても定性的な判断でしか決断できないことも存在していると考えています。
『ならぬことはならぬ』と言うものが私にはあります。
ご先祖様に敬意を払うことや、目上の方を尊重する、幼子に愛情を注ぐことなど、どの民族でも共通していることは有ると思います。
なかでも日本の文化・伝統の中で育まれているものは沢山存在しています。
残念ながらなのか世の趨勢なのか、私も一世代前の方に比べれば、日本を正しく継承できていない点も有と思っています。
それでもご先祖様を敬い、次世代を大切に育てることをとても大切に考えています。
私の中での『ならぬこと』は自己中心的な考えなのだろうと思います。
自分の行動には常に相手がいます。
関わる全ての方を幸福にすることはできませんけれども、自分だけが喜ばしい行動を取る行為だけはしたくありませんし、して欲しく有りません。
人間は弱く低きに流れやすいものです。
その為に、志・信念を高めて自らを律していく必要あ有るのだろうと思います。
表題に戻りますと私どもの会社においては、技術も勿論大切ですけれども、『自分以外の幸せを真剣に叶えたいと思わない人間は駄目』と言うようなことに落ち着きそうです。

最近、出くわす不快な状況は全て自己中心的な発言や行動によるもので有ると認識することが出来ました。
私自身もそのような思いを周囲に与えることが無いよう、関わる人を中長期的に幸せに出来ますよう活動を推進してまいります。

来週は年に一度の最も苦手と言いますか、重圧を感じる株主総会があります。
昨年度をしっかり振返り、今年度の活動をますます推進できますよう審議頂きたいと存じます。