東日本大震災から4年が経過しました。
震災復興活動に参加させて頂いたことや相馬野馬追の関係もあり、色々な場所で講演させて頂く機会もありました。
全然、別件の講義でも冒頭に触れたりするなど、忘却されないようささやかながらも努めてきたつもりです。
グループでも毎年義捐金を募って頂けるなど大変に有難い事も続いています。
講演の場では努めて淡々と事実をお伝えした後に極めて熱く御礼を申し上げるとともに力強い復興支援をお願いする事が常です。
先日の講演でも同じような流れをと思い、初めて画像では無く映像を一部交えながらの講演をしました。
自分でも戸惑うほどに感極まってしまいました。
勿論、事前に何度も映像は確認をしており、その後にどのような思いを伝えたいかなどをまとめていましたけれども、口を動かすたびに感情が揺さぶられてしまいました。
生来、人前であまりネガティブな感情(悲しむ、不平不満、痛い痒い辛いなど)を出すことはよろしくないと育てられておりましたので、自分自身大いに戸惑った次第です。
結果、話題を変えるというか先の話に移ってどうにかその場を終えましたけれども、振返って記録しておこうと思います。
一番、感情を揺さぶられたのは、当時の悔しさがこみ上げてきたからのように思います。
ニュースで流される状況と相双地区で暮らしている方々の心情に差が有り、メディアが何を言っているのか理解できないほど、基本的価値観の違いを感じる日々でした。
私共にとって大切であるとしてきた物が理解もされず、テレビの中の論調がさも当たり前のように流される日々に嫌気が指しながらも、メディアの強大な力を活用してでも早期復興を成し遂げたいと言う感情が入り乱れていました。
様々な議論があってしかるべき時期でしたけれども、私にとっては基本的価値観と言いますか後世に残すべき物、伝えたい物を深く考える機会となっていました。
お蔭様で、現地でも多くの取材を受けました。
その際に必ず聞かれたのが、その年の「相馬野馬追」の開催についてでした。
私自身は、父親から相双地区に入る際に「市長達にこんな時だからこそ野馬追が役に立つだろうし、久しぶりに自分も出るつもりだから、大変だろうけど頑張るよう伝えてくれ。」と言った主旨の言葉を預かっておりましたので、、
やはり市長に会った開口一番は上記の内容をお伝えしました。
「相馬野馬追」は神事が最も大切であり、軍事演習以上の価値を置いています。
全ては領民の安寧の為、個人の勝手な思いやその時の環境で判断するものでは無いと元服後には何度も言われていましたので、本当の意味でお役に立てる時期が来たようにも感じました。
神事ですから、藩主のみならず宮司にもこの覚悟が必要となるわけですけれども、相双地区にて同じ時を共に歩みを進めてきた宮司も当然に実施しないという考えは毛頭有りませんでした。
天明・天保の大飢饉や第二次大戦末期には、様々な中止圧力がかかる中で、集まれる人間だけでも開催を1000年以上続けてきたこの神事がたかだか100年にも満たない歴史の原子力の脅威に屈する事など私には発想も無かったのです。
なので、野馬追開催の質問をされる方には都度「野馬追の歴史を正しく理解されていますか?歴史の継承をすることが務めの人間に聞くことですか?」と悔しさと共に疑問を投げ返していました。
最近の講演に活用した映像は、海外向けの広報の意味合いもあり、英語で注釈などもつけられていました。
映像に全てではありませんけれども、とても大事なことが継承できているのではと改めて感じて言葉に詰まった次第です。
私はただただ愚直にご先祖様に与えて頂いた物をそれ以上の状態にして後進に渡したいと願います。
それは決して一族だけを指すのではなく、相馬の領民を含め多くの関わった国民の皆様、また自分の能力が務まるならば世界の人類の為に役に立つ生涯を過ごしていきたいと思っております。
今回の記事を書きながらも東日本大震災は、私にとって過去の物とは成り得ないと感じた次第です。
全ては周囲に多くの感謝と共に。
今年の野馬追は兄貴と共に出陣させて頂く予定です。