『黄金のアデーレ 名画の帰還』を拝見して

今週はオリンピックに着目する方と武漢ウイルスのデルタ株による陽性者増に着目する方などが多かったことと存じます。
私自身は、今週も新たな出会いを通じて刺激を頂戴することが出来た一週間でした。

以前にテレビで放映された映画を録画しておいて拝見したのが表題の『黄金のアデーレ 名画の帰還』でした。
私は絵画含めアートと言われる物を苦手としていて、何が良くて悪いのかを知らないレベルの人間なので、この歴史的事実も全く存じ上げない内容でした。
拝見しての感想は、伝えるべき歴史は存在した個人の数ほど有り多くの個人間で紡いでいかねばならないという事と、権力が生じると正しい歴史伝承が難しくなる事実も突きつけられたように思いました。
振返れば、歴史を創るような意思決定の場面が有りますけれども、その決定の背景にある物を多くの方に知って頂くのは容易では有りません。
多くの意思決定には歴史が絡むからです。
それは個人の歴史で有ったり、国家・民族の歴史も絡み合います。
一度感情が縺れれば、一般的な交渉は不可能となり、時間と根気を伴う交渉へと変化していきます。

また、今回の映画でまた強く感じたのは、日本人がホロコーストについて議論するにはまだまだ知識不足である方が多いだろうという事でした。
全てのユダヤ民族において個人的な想いと共に語られる歴史的悲劇を教科書等で教わった程度の知識で分析したりするのは、加害者でも被害者でも無かった人間にはとても難しい事であると感じます。
それは、自分自身が伝承されている奥羽列藩同盟として江戸幕府についた人間が薩長同盟に何をされたのかを口伝で伝えられてきた者として、決してこの教科書に載らないであろう個人の想いも含めた歴史的事実は当事者以外には分からないものと理解しているからです。

他にも様々な歴史的事実とその背景を聞いてきた立場として、全てを公開するつもりは有りませんものの時に示していく事の必要性を感じてもいますので、適宜口伝や文書で残していこうと思います。

最近のメディアの風潮で記録しておこうと思います。
以前から質が高くなるのは難しいのが大衆相手のメディアであると理解はしていますけど、一つは軽々白白に武漢ウイルスからオリンピックへの傾注に何とも言えずに感じる事があります。
ある程度予想はしていましたものの、ここまでひっくり返る物かと感心もしています。
これはコメンテーターの意見が変わったのではなく、意見が異なるコメンテーターを連れてくるというメディアはあくまでも箱であるという認識なのでしょうけど、経営理念含めどのような体制でメディア発信していくかは企業として考えておいても良いかと思う次第です。
もう一点は、武漢ウイルス対応の一進一退で首相の進退を問おうとする姿勢です。
現時点で生きている現役世代にとって未曽有の体験で常に正解が出せることは無いでしょう。
雲隠れもせず、逃げずに現場と向き合っていることをもう少し賞賛すべきだと思います。
私自身はやり方手法は各種変更が発生しているでしょうけど、菅首相の信念自体に揺らぎは感じません。
他政党には任せられる気がしない以上、チャーチル同様『現在我々は悪い時期を通過している。
事態は良くなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。
しかし我々が忍耐し、我慢しさえすれば、やがて良くなることを私は全く疑わない。』だと思っています。
世界でも優秀な形で武漢ウイルスを乗り越えている今、更なるお手本となった行動を多くの国民に期待するばかりです。

批判するのであれば、代替案が必要であると私自身は常に考えています。
民主主義を否定するのであれば、是非より良い代替案を提示いただきたいと思うばかりです。
こちらもチャーチルの言葉から『これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。』だと理解しています。