二宮尊徳の言葉として『積小為大』を知って、10数年が経過しましたが、本年はその意味を深く体感しているように思います。
振返れば、常に高みを目指し、猛然と進んでいこうと考えておりましたものの、同じような場所でもがき続けていた様に思います。
結果が出なければ、焦りに繋がり、焦れば焦るほど徒手空拳のような無力感を覚える日も過ごしてまいりました。
しかし、最近は少しずつでは有りますものの積み重ねが出来ているように感じています。
積み上げ方が脆弱で上ったと思ったら、土台から崩れていたような日々ではなく、少しずつではある物の着実に成長を実感できるのはやはり人の成長に拠ることを体感出来ました。
その為には、何より私自身が変わり、伝え方接し方を相手の立場を知って対応することにあることも痛感しています。
『教育格差』松岡亮二著を読み、私が理解できていなかった地域や経済による教育格差が根深く横たわっていて、残念なことに少しずつ広がり続けていて、2000年を迎えてからはそれらが更なる拡大が見込まれることを知ることが出来たのは衝撃でもありました。
伝わる言葉の差も理解できたように思います。
現場を振り返リますと「はい。わかりました。」と言う言葉はよく使われますものの、一人一人の背景によりその理解度が大きく異なっていたことに気付けました。
表面としての行動だけの捉え方と本質的理解は大きく異なります。
同じようなことが起きた時に同じ過ちを繰り返す理由は、コンピュータ同様全ての事例を教えてもらわない限り判断できない人間が増えているという事でも有ります。
人間は理解度・価値観が同等の世界の中で存在する機会が多いように思います。
日本人に関わらずやはり居心地の良さと呼ばれる環境には人間関係が大きく関与しています。
同じ信号が入った時の反応が都度異なっていれば、最初は刺激的で好奇心が生まれる部分もあるでしょうが、それが続けば疲労の要因となるでしょう。
高校時代を最も良い思い出にされる方が多いのは、受験などを通じて集まる関係なので偏差値が似たメンバーが多く知的好奇心においてなど共有しやすい部分があるのだからではと推察する次第です。
社会にでれば海外含めても多くの価値観と触れ合う機会が増やすことが出来ます。
同僚などはある程度基礎学力も整っている事に加え、日々の業務を価値観が揃ってくることでしょう。
業種業界職種にも価値観を揃える要素がありますので、これら多くの価値観を会社組織としての経営理念と言う基本的価値観に揃えつつ、成長を図っていくことを少しずつ積んでいきたいと思います。
『何のために働くのか?』この問いは多くの新社会人になる方々が考えていることだと思います。
社会人も当然に全員が同じ答えをすることは有りません。
それでも、最初は自分個人の為で有ろう働く行為が経験を通じて他者の為、社会の為に繋がっていかなければそれは残念なことだと思います。
より多くの方が自分以外の為に働く行為を行えるのは日本人が生み出してきた素晴らしい価値観でも有ります。
働くの語源は「傍(の人を)楽(にする)」とも言われています。
少なくとも西洋社会のようにアダムとイブへの罰として与えられたものではなく、天照大神も率先して働いてきた背景を大切にしてまいりたいと思います。
これからも一足飛びに進めるのではなく、現存するメンバーに合わせつつも高みを目指して歩みを止めずに進み続けます。